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株式会社金入 金入社長インタビュー
授業のない長期休み(夏・冬休み)や、在職中でも長期休暇がとれるタイミングを活用して、インターン先の企業から給与の支払いを受けながら、地域課題解決に取り組むことができるインターンシップ対応型プロジェクトである「青森暮らしインターンプロジェクト」。「青森暮らしインターンプロジェクト2024」に参加してくださった、株式会社金入の代表取締役の金入さんに、インターン学生がインタビューを実施しました。
これからの青森県での暮らしに貢献する担い手を創出する皮切りとなる本企画。本企画を通じて青森県の経営者はどのように人生と事業を振り返るのでしょうか。青森で暮らすことを決めた経営者に対して、理想の社会への実現に向けた、事業への意気込みをインターン生が伺います。
株式会社金入 代表取締役 金入さんプロフィール
現在44歳。中学校まで八戸市で過ごし、高校から東京で過ごす。早稲田大学卒業後は東京・銀座にある文房具店「伊東屋」で修行し、2008年に株式会社金入常務取締役に就任。その後、2013年に代表取締役社長に就任。現在は、文房具の新たな可能性を模索、発信するとともに、東北の文化や産業の魅力発信にも力を入れている。
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インターンプロジェクトに参加した理由
きっかけは、皆さんと会いたかったからです。今回参加してくれた、秋田さんと吉田くんならぜひと思いました。高校生の頃、LINDEAL*1 で頑張ってて、自分としては高校卒業して地元を離れた後でもまたいつか会えるといいなと思っていました。最初は今回来てくれた2人が来るとは知らなかったけど、古井さん*2 たちがやってるプロジェクトだから、きっと活動に積極的な方が来てくれるかなと思っていました。こうしてまた大学生の段階で来てもらえることは、とても嬉しいことですね。今までの色々なご縁があってのことですね。
だから、今回のインターンを通して採用をしたいとか、そういう意味合いというよりは、2人に金入のことを好きになってもらえたら。それが今回のインターンのゴールだと思っています。
*1 2018年に吉田が中心となって設立した学生団体。読みは、リンディール。青森県八戸市を拠点に活動を行なっており、秋田もその一員で活動した。金入さんには、スポンサーとして活動時に必要な備品の提供などを行なっていただいていた。
*2 古井 茉香(ふるい まのか)。今回青森県が行なっているあおもり里帰りインターンプロジェクトの一部企業の受け入れに関する企画運営を行なっている。青森県八戸市出身で、現在は早稲田大学社会科学部所属。学生団体LINDEALでは2代目の代表を務めた。
株式会社金入としての、Uターン人材獲得に対する考え
事業として、やりたいことがあるって思ってもらえる会社であるかどうかが大事なことだと考えています。そして、そこに賛同してくれる人たちと私たちが出会えるような発信が大事だと考えています。今までもそうやって、そこに共感してもらった人たちがどんどん集まってさらに相乗効果が生まれていっています。特に、自分たちはオフィスの環境や、働く環境を提案していく企業なので、会社としてはこのポイントを大切にしています。
その中で特に、ローカルヒーローを作るっていうのも大切にしています。その地域の企業のものを販売したり、そのプロデュースをさせてもらったりしています。私たちが地域企業に何か新しい視点や価値を、働く環境、商品企画を含め、一緒にサポートしながらやっていくことで、多種多様な面白い人財が雇えるような事業が青森県内で増えていけばいいなと思ってます。
そういうのをローカルヒーローを作っていく、出会っていくみたいな感じで表現しています。もっともっと、そのような地域の面白い企業が増えればいいなと思っています。
株式会社金入の歴史
最初は、金入という名前のお店ではなく、1800年代後半あたりに、福太郎さんが始めた、福太郎屋が始まりになっています。詳細は不明なのですが、福島もしくは会津の方から八戸にやってきたみたいで、名字も与えられていなかったようです。
当時は、海鮮肥料問屋として、魚の油粕を全国に肥料として売って、財を成したようです。その時の屋号は、組み木に屋根に飛び石と言う、蔵に入ってる物が飛ばないようにと言う意味のものです。当時から商売をやっていたので、南部の殿様から苗字もらったときに、金が入る方がいいだろうというので、金入という苗字をもらったと伝え聞いています。
この商売は長いのですが、文房具は実は遅いスタートでした。魚の油粕や肥料を戦後は使わなくなってきて、石灰の産地なので化学肥料にしようとしたのですが、うまくいかず、大変な時期がありました。
当時、今のカネイリ番町店がある場所に家がありました。その近くにある八戸市役所の近くに八戸小学校があり、学校が近いので副業的に文房具屋をやろうというのが、文房具を取り扱い始めたきっかけです。その後にこの場所にビルを建て、その時から本の取り扱いも始めました。
ですので、今の業態に切り替えてからは70年くらいになります。今は、番町店とイオンモール下田店の他、県内数カ所に販売拠点があり、文房具や本、オフィス用品やコピー機の販売や修理を行っています。
創業当時の半被。上に金入の屋号があり、記号化された店の文字が下に並んでいるデザイン。
金入が大切にしている3つの言葉
この三つの言葉を大切にしています。「直耕」、「『働く』と『暮らす』をゆたかにする。」、「FIND YOUR STANDARD」の三つですね。 一つ目の「直耕」は、八戸のまちのあり方がこうあったらいいなと思っていることがあり、直耕っていうワードにしました。安藤昌益 *3 が作った言葉なのですが、自分で食べる米を自分で作るように、自分で必要なことは己の手で自ら耕すと言うような意味です。自分たちの仕事を自分たちで作ったり、自分たちの暮らしを自分たちで作ったり、楽しんだりしてくような、そのような姿が理想だと考えています。それを自分たちの仕事にした結果、こういう世の中になったらいいなっていうのを考えながら仕事をしています。
二つ目は、「『働く』と『暮らす』をゆたかにする。」です。 事業領域が大きく二つあって、働くと暮らすの二つです。オフィスやIT事業など、働く環境を作っていくのが一つ。あとは小売業や制作など、文化に携わる暮らしにまつわる仕事を行っています。オフィスの話で言うと、最近はデジタル化の影響でコピー機の販売が厳しくなってきて、IT商材として、セキュリティのサービスやクラウド、サーバーなど、地域のITよろず屋的な事業も、オフィスの環境づくりとしてやっています。
三つ目の、「FIND YOUR STANDARD」は、多様性の時代で正解がないし、働き方や暮らし方も正解がないので、みんなのスタンダードを探していこうと言う意味が込められています。新商品だけではなく、古いものであっても、丁寧に、確かなものを届ける。小売業、流通業なので、そのような手助けになればいいなと思ってやっています。
*3 江戸時代中期の日本の医師・思想家・哲学者・アナーキスト。秋田藩(現秋田県大館市)出身で、八戸で医師として開業した。
家業への焦り
大学時代、経営学の授業で、「これから潰れる業種を教えてあげよう。 それが本屋と文房具屋とおもちゃ屋だ。」って言われて、ガーンとなりました。家業が二つも入っていたからです。
その当時、SNSとかが流行り始め、デジタルに移行し始めた時期で働き方も変わってくるし、リーマン・ショックの時期には企業が文房具を支給しなくなっていきました。業界誌では、「これからはパーソナルな時代になる。全員画一の文房具ではなく、パーソナルな文房具、それぞれが好きな文房具を買う時代だ。」と言われるようになりました。
オフィス・デポ*4 というアメリカの一番大きい事務用品屋が日本に入ってきたのですが、銀座の旗艦店も撤退してしまい、文房具はどんどん売れなくなっていきました。その中でも、伊東屋*5 に訪れるみなさんは好きな文房具を買っていくようになりました。業界誌では、個性的なものを作ってこうみたいなことが書いてありました。文房具でも、デザイナーがどのような視点で作っているのかなど、言わなきゃ駄目時代になっていくなと思っています。
*4 アメリカに本社を構える大型事務用品店
*5 銀座に所在する大型文房具店
サブカル好きが功を奏して
自分が学生のとき、本が好きで、特に洋書屋さんなど、そのような場所が好きでした。NADiff *6 というとてもかっこいいお店が、学生だった当時、青山辺りにありました。今は恵比寿にあり、全国にあるミュージアムショップなどを運営してる会社です。
当時はサブカル全盛期でした。お店に行ったら、入口で浅野忠信さんがコピー機で自分の書いた絵をひたすらコピーし続けるっていうパフォーマンスやっていて、サブカルが好きだったのでめっちゃかっこいいなと思った記憶があります。そういうカルチャーに興味を持った辺りで、意外と本屋がそこの中心にあるんだと気がつきました。
*6 アートに関する商品の販売を手掛ける会社。アートの発信や、美術館内のミュージアムショップの経営も行っており、現在は東京都現代美術館などにショップを構える。17年前に表参道から恵比寿に本店が移転しており、本店は2025年3月閉店予定。
東北STANDARDの始まり
自分が東京から戻ってきて最初にやった事業が、2011年2月11日にオープンした、はっち1階にあるミュージアムショップでした。この頃から、八戸が変わり始めたと思います。
地域と行政が一緒に盛り上げていくというのは、震災を機に増えたと思うのですが、はっちはそれを先取りするような形で、震災の1ヶ月前にオープンしています。これはすごいことだと思っています。
企画段階から時代の最先端を行っていて、市民活動を中心に置いて企画が進んでいました。当時、八戸が文化政策を重視するようになり、小林前市長の取り組みもあり、2011年から今までの15年間で、文化政策において日本でも有数のまちになったと思っています。
それと共に、2011年から金入が始めた新規事業が本当に成長してきていて、まちのおかげで成長させてもらっていると思っています。
そのときは地元でデザイン的な仕事してる人にも出会えてなかったし、工芸品やお土産を売るのもださいなと思っていて、それを一挙に解決する店をやろうと思いました。デザインやクラフト、伝統工芸やアートと美味しいものを全部横1列に並べるお店を編集視点で考え、コンセプトを持ったお店をやってみようと考えました。それをミュージアムショップと呼んでしまおうというのが最初の設計です。はっちもポータルミュージアムと言っていますが、展示品があるわけではない。その同じ展示品がない施設の売店を、ミュージアムショップと呼ぶのがちょうどよかった。
せんだいメディアテークという、はっちがオープンするときにみんなが見学に行ってた施設があります。そこにあるミュージアムショップをNADiffさんがやってたのですが、東日本大震災を受けて撤退をしてしまいました。僕のお店でも取り扱っている、7 days cardsというポストカードを作っている作家の藤原弥生さんと言う方がいらっしゃいます。僕の前職(伊東屋)でお付き合いのある方で、その方がミュージアムショップの撤退の片付けをしているところを見て、「あんた、八戸で店やってんだったら、仙台のお店もできると思うから。あの子たち泣いてたから、あなたプレゼンで手を挙げなさい。そして戦って勝って、あの子たちを雇いなさい」と言われ、そこから金入としてミュージアムショップをやっています。
その過程で、北川一成というデザイナーに出会いました。その方に、屋号を今使っているロゴデザインに変えてもらいました。最初は、はっちのミュージアムショップのデザインとして作ったのですが、10年ぐらい前に会社の屋号としました。
その辺りに、FIND YOUR STANDARDとか東北 STANDARDというワードが出てきました。
当時グッドデザイン賞が、震災の復興支援の一環で無料で申請することができる期間だったと言うこともあり、イケてる東北の工芸家の人たちがみんな出してたんです。その時の冊子にその人たちがみんな載ってたので、工芸家の方に軒並み電話して、東北全体の工芸家の人たちにはこのタイミングで出会いました。
実は、せんだいメディアテークも展示品がない施設です。その中のミュージアムショップっていうことだったので、売るものがありませんでした。しかし、はっちはフィールドミュージアムとしてまち全体をミュージアムとして捉えていて、地域のものを売ろうと考えていました。
ここのテーマとして、青森県全域のものを取り扱おうと考えていました。津軽塗や、こぎん刺しなどもですね。トータルで八戸だけでは勝てない。青森県としてのブランディングで、デザインやアートなどを揃えようと考えていました。
当時、青森県のホームページに伝統工芸一覧のサイトがあり、そこに載っている工芸家の方にとにかく電話して、説明とお願いをしに周りました。最初に八幡馬を作られている方のところに行ったら、誰だこいつと思ったと言われました。当時、新規事業で自分1人だけだったので、八戸焼やお煎餅屋さんとかも全部、ずっと自分ひとりで行きました。断られたとこも多くありました。
弘前のこぎん刺しの人のところに電話をして行ったら、「今日飲み会あって全員集まるから飲み会に来てくれたら一気に全員紹介できるよ」と言われて、飛び込みで参加もさせてもらったこともありました。
そのミュージアムショップと言うのは、デザインやクラフトの専門店として、この仕事を自分が新規事業としてやっていくことで、会社にそのノウハウを入れられるというのは後になって気がつきました。これが、後に様々な仕事、特にデザイン分野、地域づくり分野にどんどん派生していくきっかけになりました。
伝統芸能のタブーに切り込む
伝統工芸をいじるのは結構タブーと言われていて、変なことしたら怒られるんですよ。 自分たちとしては、伝統工芸と言われている伝統の中で、どこが大事かということをテーマに考えて、それを編集しています。
素材だったり、作り方だったりを残して、僕らのプロジェクトの中で、伝統工芸のデザインを一新しようと考えました。これをやるために、伝統工芸に携わっていらっしゃる皆さんに話を聞いていったところ、八幡馬のデザインは、何代か前の人が自分たちで考えた模様らしいんですよ。
八幡馬を作っている方から、『あたかも伝統工芸かのようにデザインを乗せて作ってるけど、あれうちの先代も勝手に変えたやつだからね、別にそれ決まりじゃないから』と聞いて、『そうなんだ。 ということは他にデザインしてみるのもありだな。』と思い、伝統工芸品をデザインすることを始めました。
はっちにミュージアムショップを作るときに、何か漆塗りとコラボしたいっていうことを漠然と考えていました。そうしたら、津軽塗りの先生が、八戸焼と津軽塗のコラボを過去にやろうとしていたものがあると、10何年も前に作ろうと思ってそのままにしていたものを、棚の上から出してくれました。
ここで大事なのは、自分の登場によって10年15年放置されていたものが、この話をしてから2、3ヶ月後にはもう発売になっていて、職人の人ってめちゃくちゃ普段から本当は考えてて、新しいこと全然やろうと思えばやれるんだけど、結局それを売る場所がなかったり、責任取る人がいなかったりで、物事は進まない。
そこで自分たちがそのミュージアムショップという場を作ったからこそ、そういういろんなものが集まり始めました。場所があればそれ以上のものが生まれるっていうのは本当にそうだと思う。チャレンジする場を作ってあげるということが大事。その持続可能な仕組みを考えるのが、一番本当は大事なことだと思います。
おしゃれな店が欲しいと皆さん言うと思うのですが、おしゃれなお店自体はいつでもできるんですよ。 でも、そのようなお店ができたからといって、売れるとは限らない。それを皆さん勘違いしていて、おしゃれな雑貨やおしゃれな本屋とか、みんな間違って戦術の中でもゴールから先に真似してしまいます。本当は商品やお店にストーリーがあって、その組み合わせの中でパズルになってるから、おしゃれな店が成立しています。はっちのミュージアムショップが成立してるのは、行政との様々な座組があったり、お土産も一緒に売っていることだとか、いろんなことが複合的にストーリーになり、場所が成立しています。
今の時代だからこその、カネイリ流文房具の売り方。そしてこれから。
今、1周回って文房具屋をやろうと思っています。お店の名前やコンセプトも今までとは変えています。
BUNGUU(読み:ブングー)と言う名前にしようと思っていて、これをイオンさんの子会社の未来屋書店と言う本屋さんの中でコーナーとしておいてもらおうと企画しています。
文房具屋は、潰れていくと言われている中で、特に僕らがやってきた専門店、路面店は売れなくなっていくから厳しいと言われています。大型スーパーなどは、低価格の文房具類を大量に販売していますし、大型店舗の一部で販売しているため、私たちみたいに文房具のための人件費や店舗運営費もかかりません。その反面、私たちはイオンモール下田で専門店をやっていますが、そこでは定価で売っていても全然売れています。
この現状をさらに発展させる形で企画をしてやりたいことがあります。ユニクロやドン・キホーテ、無印良品などのお店は、お店の中に文字が沢山書いてあるんです。それを参考に、この文房具はどこの新製品と書いたり、その文房具のエピソードを一つひとつ全部説明していく店を作りたいと考えています。VMD(ビジュアルマーチャンダイジング)を参考にしながら、通りすがりの人が、ペンが欲しいと思っていない人もペンを買いたくなってしまうようなものを作るために、全部解説を載せたような今までに文具業界もやってなかったことをやろうとしています。
「今、文房具店に文字が少ないですよね。」といっても、あまり理解されないと思います。 皆さん、それが普通だと思っているから。だから、普通ではないことをやりたい。新しく自分の中で、またスタートしよう、ここに投資していこうと考えています。