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有限会社中村畳工店 8代目代表取締役インタビュー
授業のない長期休み(夏・冬休み)や、在職中でも長期休暇がとれるタイミングを活用して、インターン先の企業から給与の支払いを受けながら、地域課題解決に取り組むことができるインターンシップ対応型プロジェクトである「青森暮らしインターンプロジェクト」。「青森暮らしインターンプロジェクト2024」に参加してくださった、中村畳工店8代目代表の中村渉さんに、インターン学生がインタビューを実施しました。
これからの青森県での暮らしに貢献する担い手を創出する皮切りとなる本企画。インターンプロジェクトへの参画、インターン生の受け入れ、本企画を通じて青森県の経営者はどのように人生と事業を振り返るのでしょうか。青森で暮らすことを決めた経営者に対して、理想の社会への実現に向けた、事業への意気込みをインターン生が伺います。
~五戸町から藺草を~19世紀から続く中村畳工店の進化。
─最初に自己紹介をお願いします。
中村畳工店8代目中村渉と言います。私は、2005年から2007年まで日本のプロ野球チーム「北海道日本ハムファイターズ」に所属し、引退後は様々な社会勉強をしました。その後、父・中村勇の跡を継ぎ、8代目代表に就任しました。
20代はどのように過ごされましたか。
大学卒業して3年間は、プロ野球に行くという目標に向かって野球の練習をしながら家業の畳の仕事をするという生活でした。25歳からの3年間はプロ野球選手でした。畳の仕事をしながら野球って言ったのだけれども、本当は野球をすることがメインになってしまっていて、畳の仕事は2の次、3の次になっていました。
なぜ今回インターンプログラムに参加していただけたのか、きっかけと理由を教えてください。
私たちだけで無く、畳の業界全体的に、畳の利用が一昔前に比べて減っている。僕が子供だった頃、うちの父がまだ現役で仕事をしている時代に比べると、和室がある家が新築や 住宅(中古)を含め本当に少なくなってきている。例えば畳が3枚の 和室とはもう言わないような畳スペースが、1部屋あるような状況になってきている。業界自体がもう衰退している中で7、8年前にもう1回畳の仕事をやり始め、自分が今代表になって、「なんとかしていかないといけない。」と思った。畳の良さには、イグサの良い香り、湿度を調節する機能、保温性といった良い部分が多くあり、 その事をお客様に伝えると、「やっぱりいいものだね」と言ってくださるんですよ。だから、無くしてはいけないし、「 無くなったらいけないもの」だと思っている。そして、色々なグッズを作って、まずは畳に触れる機会を多くしていこうという思いがずっとあり、商品を作ったり、色々なイベントに出たり、メディアを使って、皆さんに発信して いる。その中で、BLUEさんとご縁があった。去年、五戸祭りの方もメインで色々な活動をしているが、ある女性がBLUEさんの社員で、色々なことを考えてくれる 前向きな女性であり、話をしているうちに「渉さん、ぜひやろうよ。合うと思う。」と言ってくれた。僕も、思いをどんどん発信していきたい気持ちがあり、その中で 課題もあったので、今回の企画は本当に非常にマッチしていて、「じゃあやりましょうか」といった感じで、とんとん拍子で話が進んでいったのがきっかけだと思う。
創業のきっかけは何でしょうか。
うちは古い文献を見た時に、創業は西暦で言うと1800年ぐらい、初代の人が江戸時代中期ぐらいに創業されたっていう記録が残っている。なので、それをもって創業って言うのであれば、きっかけっていうのは何か分から無いけど、例えば会社のホームページとかよく見ると、創業1970何年とかっていうのが書いている。うちで言うと1800年になるから、 「え!」っていう風に思われる。
きっかけは何だろうね。初代は、何を持って畳を生業にしたんだろうね。江戸時代は、畳は当然の如くあったし、 色々な人がやっていたと思うから。もう普通に職人の1つとしてあったと思う。
会社が存在する理由は何でしょうか。
難しい所、哲学的だね。祖父が6代目、父が7代目、僕が8代目ってことで、 小さい時はそんなに意識はなかったんだけどね。今、自分がこの仕事の後を継いで、やっているって考えた時に、皆さん、お客さんからも言われるんだけど、長く続いてるって「すごいね」っていう風に言われるのね。それに対して、いやいや長くやっているだけで、ご先祖様に感謝ですっていう風に言ってるんだけどね。でも、続くっていうのは、お客様があってのこと。だから、地元のお客様、五戸以外の三戸郡、八戸、野辺地とか、青森県内 のお客様は、やっぱり畳っていいよねっていう方がたくさんいらっしゃるから、我々が続けられていることだと思う。だから、畳は「無くなっちゃいけないもの」だし、「無くならないもの」だと思っている。
畳っていうのは日本の伝統文化だと俺は思っている。ただの床材っていうだけではなくて、建築の床材っていうことに囚われず、一つの伝統文化だと思っているから 、それを伝えていく事で、お客様も分かってくれる。なので、需要があって、それが 我々の仕事で、今日までやってこれている事が存在の理由だ。 例えば会社に入社して、俺が若い時に会社員の時期があったが、他の仕事や事業をやった方が儲かるのではないかと言う人もいる。それはアドバイスとしてありがたく頂くけれど、そこはもう半分以上意地で、今まで先祖代々繋がってきた仕事を切らしたくはないし、「この畳で これからもずっと生きていきたい」、「これからも存在させていきたい」そういう思いですね。
誰でもできる仕事では無いと思いますし、 畳屋をやろうと思って簡単にやれるものでも無いですよね。
現状を見ていて、右肩下がりの業界である畳屋をやろうと思う人は多分いないと思う。やっぱりしっかり勉強して、良い所に就職するとか、自分で事業立ち上げるとか、 儲かるため、売れるために、ご飯を食べないといけない。それはもう大前提としてあり、お金は必要になるわけで、そのためにどういった仕事をするかを考えると思う。
畳屋を今からやろうと思う人はいるのかな。クリエイティブな考えの人なら、もしかしたらやるかもしれない。うちは先祖代々伝わってきたっていうのを俺で切るわけにはいかないし、切りたいと思わない。もちろんお金は無いよりはあった方が生活や心が豊かになる。 しかし、それ以外の部分を強く大事にしていきたい思いが存在理由にある。
5年後のビジョンを教えてください。
2030年は、夢とか目標が多くあって実現するかしないかは別として、それに向けて動きたいと感じている。 この畳をもっと多くの日本人の方に販売し、 海外を含め販路を広げていき、最終的には自分の店だけでなく、五戸町にも人が来てほしいといった思いがある。
例えばすごく古い作業場なんだけれど、ここをうまく改築してショップ、自分の商品を売るような場所を作りたい。改築をしてショップを作って、人が来るような動きを作る。後は、色々な体験や人がここに来て時間を費やし、使うような場所を作りたい。結果、五戸町に多くの人が来るような動きの1つになりたい。
インタビュアープロフィール
紺野孝宏 法政大学経済学部経済学科3年 十和田市出身
今回は貴重な伝統文化の製造過程、歴史、作り手の思いなどを知り、貴重な体験でした。国産の畳の良さが多くの方に知っていただけるように、知人や友人などを介して自分自身も貢献していきたいと感じました。