- 社長インタビュー
地元おいらせ町にとって、無くてはならない会社へ。
株式会社種市建業は今年で創業47年。先代経営者であった父から受け取ったバトンを、次の代へとつなげるべく、小向社長は走り続けています。経営者に至るまでの道のり、そして現在の会社経営に対しての考え、そしてこれからについてお伺いしました。
高校卒業後、建設・建築関連の学校へ
地元高校の普通科を卒業後、仙台にある建築系の専門学校へと進学しました。高校卒業後の進路選択の際、改めて自分は長男であり、父の会社経営に将来的に携わる可能性があると考え、建築系の学校へと進みました。特に父から、建築・土木の道に進めと言われたことはありませんでしたが、どこか自分の中では意識するものがありました。
専門学校卒業後はそのまま仙台の建築・土木関連企業へ就職しました。いずれ戻るにせよ、経験を積みたいと考えていたからです。7年程その会社に勤め経験を積み、30歳を前に結婚も一つのきっかけとなり地元青森へと戻ってきました。
地元に戻り、父の元で働き始めたのですが、時代はバブル崩壊後の非常に厳しい時期。戻ってからの3年間を振り返ると、業界全体を見渡しても底だと思えるほどに厳しい時期でした。最初の2年はとにかく関係企業の方々の顔を覚え、そして自分についても覚えてもらい関係性を構築するということを意識した時期だったように思います。
自分の力でつかんだ仕事
ちょうどその頃だったと思います。戻ってきて2年目頃に初めて自分の営業によって、大きな工事の受託が決まりました。ある中学校の新築工事の仕事でした。前職はゼネコン企業に勤めており下請けの会社へ仕事を依頼する立場で仕事をしていました。この会社に戻り、今度は下請けとして仕事を請け負うという立場へと変化しました。両方の立場を経験し、両者の視点に立つことができたことが、自社で見積りを作る際の考え方・交渉する際に非常に立ちました。
専門学校卒業後の会社で基礎を学び、力をつけ、工事を発注する側の考え方を学べたからこそ、自社に戻り先代が築いた信頼関係を引継ぎながら、自分の力で仕事を受けるという経験ができました。こういった手応えを感じられる瞬間が、この仕事をしていく上で感じる面白さなのかもしれません。
30代後半は、外へと目を向けた時期
30代後半の時期は会社も安定し、自分も社外や地域の方々とのつながりを強められた時期でもありました。ちょうどその頃、商工会青年部の部長やゼネコンの北東北部会の会長といった、会社の外の組織の中でも役職を任されるタイミングが重なりました。
会社の中にいれば専務であり次期経営者として見られ、立場は上でも、1歩会社の外に出れば年齢もキャリアも上の経営者の方ばかり。そのように会社の中と外での役割を持つことを通じて「自社さえ良ければそれでいい」ではなく「地域にとって良い施策なのかどうか」「業界全体を通して見た時にはどうか」という視点を学ぶことができたように思います。
40歳で社長就任、これからについて
40歳で専務から社長へと就任しましたが、社長になったからと言って自分のスタンスは全く変わりません。他からの見え方に変化はあったとは思いますが。社長だから、経営者だから、というおごりはありません。周囲の先輩経営者に囲まれていると、自分はまだまだ入口。これからもっと勉強していかなければいけないですね。経営者になっても、一現場担当だった頃も、忙しく働いてきました。でもその忙しさの中身は変わったかもしれません。現場を動かしている頃には現場の忙しさがあり、今は常に何かを考え、決めるという忙しさです。これからますます先の見えない世の中になっていきますが、仕事を作ることが私の役割です。会社の先を見て、考えて、この会社を、この地域をより良い方向へと導いていく力になりたいと考えています。
また昨今、特に安全対策において、どんどん厳しさを増しています。建設業ほどきっちりやることを求められる業界も他にないのではないでしょうか。一口に「現場管理」と言っても、安全管理、品質管理、労務管理の全てを抜かりなく対応していく必要があります。社員が安全に、きっちりと仕事をしていけるよう、私たち経営者は社員に休みを取ってもらう、ということも仕事の一つだと捉えています。安心・安全な環境・状態で仕事をして、しっかり休息や休みを取る。そんな風に仕事をしてもらえるよう、今後も配慮していきます。
種市建業の人は、「ほのぼのした雰囲気だよね」
当社の特徴の一つは社員の雰囲気かもしれません。社外の人によく種市建業の人は雰囲気が似ている、上から目線でのコミュニケーションをとらない、強い言い方をする人がいない、そんなことを言われることがあります。これは私たちの会社が元々、下請けの皆さんに力を借りなければ成り立たないという意識がみんな強いからなのかもしれません。人に協力を請い、力を借りて、現場を回していく為には、上からの強いコミュニケーションは必要ありません。丁寧に説明すること、分かりやすく伝えること、そういったことを自然と社員たちは身につけているように感じています。それが種市建業の特徴の一つとなっているかもしれません。
実際、週に1度会議を開き、現場の進捗状況について共有をしているのですが、その場のやりとりも平穏です。問題が起きているとしても、どうすればいいかを冷静にみんなで話し合い、協力して解決策を探すというスタンスです。
求めたいのは、素直な人
そのような雰囲気の種市建業なので、仲間に入れたいのは「素直な人」。見栄を張らず、虚勢を張らず、分からないことは素直に分からないと表明し、知らないことは知らないと言える人。そのスタンスがあれば、みんな力を貸してくれます。分からない事を溜めてパンクするのではなく、分からないと素直に伝え、人に助けを求められる人。そういったスタンスの人であれば、特に建築・建設系の学部学科を卒業していない人でも歓迎です。
また、なぜか当社には最後の最後に「種市建業ならなんとかしてくれるだろう」と駆け込みのように仕事を依頼されることが多々あります。最終的にうちに頼めば何とかなる、そう期待してくださっているのでその信用を裏切りたくないという思いが私の中にも強くあります。他社が断った案件でも、当社であれば「どうすれば対応できるのか」と、考えてなるべくお受けしたいと考えています。
採用に関しても同じです。働きたいと思うのであれば、いくらでも働ける環境があります。やってみなければ分からないですし、履歴書だけで判断することもありません。すぐに結果が出る業界でもないので、まずはここで働き始めてみて、頑張れるかどうかを自分で判断してみてはいかがでしょうか。
渡されたバトンを、次の世代へ
自分が創業した会社なのであれば、自分の代で閉じるという選択肢もあるでしょう。でも、この会社は自分の代になる前に何代かの経営者を経て、父からバトンをもらい今に至ります。私から次の世代へと経営のバトンをつなぐ責任があると考えています。次世代に向け会社をつなげていくためにも、人の採用はこれから特に力を入れていくべき課題であると考えています。ぜひ、私たちと一緒に働きませんか?ここおいらせ町においても「おいらせに種市建業あり」と言われる会社となれるようこれからも努力してきたいですね。