• 社長インタビュー

苗字を変えるほどの、会社

有限会社苅田工業

苅田 恭孝(Karita Yoshitaka)

苅田工業の4代目苅田恭孝さんは、地元の信用金庫に28年間勤めており、苅田工業2代目の長女と結婚してサラリーマン人生を歩んでいました。40代後半に差し掛かった頃、当時会長だった2代目が病で倒れ入院、3代目も体調が思わしくなく、今後の苅田工業の存続が危ぶまれる事態に・・・そんな時、厳格な義父に病室で涙ながらに「跡を継いでほしい。」と言われ、これを断れば一生後悔すると思い、継ぐ決心をしたそうです。「一生分飲んで身体を壊したので(汗)、これからは禁酒生活を楽しみます。」と、人付き合いが良くお酒が大好きな苅田社長の、ユニークで熱いメッセージをお届けします。

40代後半人生の再スタート

自分自身区切りをつける為にも妻の姓「苅田」を名乗り、嫁にもらったはずがどういう訳か婿に入った形になってしまい、実の父親には後から怒られましたよ(笑)。何も相談せずに決めてしまいましたからね。当初、妻は大変だろうからと継ぐ事を反対していましたが、苅田の歴史を考えたらここでやめる訳にはいかないし、当時20名程の社員とその家族が路頭に迷う事を考えると・・・そこに迷いはなかったです。

それに、信用金庫には優秀な人材はたくさんいましたが、苅田工業を継ぐ事が出来るのは自分しかいないと思っていましたから、男気を見せた訳ではないですが何とかなる精神で人生の再スタートをきりました。

「木」本来の魅力を最大限に活かし「木」のぬくもりを感じる「こだわりの家具」

昔の家は、柱があって引き戸があって、必ず建具で仕切られていてね、田舎のほうでは「家の価値は建具で決まる」と競い合っていたものです。私はこの業界に関しては全くの素人でしたが、昔から木の家具は好きでした。

ところが、今の住宅にはほとんど和室が無い為、建具の出番も無いですし洋室には既成の建具が入る事が多いので、私が継いだ時には既に仕事は減っており、この業界は冬の時代を迎えていました。それでも、既成品では対応できないお寺・神社・仏閣や、幼稚園・学校・病院など特殊な建具の注文がある限り、職人の仕事が無くなる事は決してないと思っていたので、ならば、職人の技術を衰退させないよう、木のぬくもりや温かさなど木材本来の魅力を最大限に活かした「こだわりの家具」を作ろうと思い立ったのです。
時代の流れと共に建具から、家具や小物に力を入れるようになりました。

今までにないモノをつくる。それこそが苅田工業らしさ

ここ八戸市は建具や工芸の文化のイメージは薄いですが、全国建具大会で賞を取った職人もいる程、昔から腕の良い職人が沢山いました。我が社の職人も腕が良く技術面では優れていたので、今までに無いデザインで細部にまでこだわり、壊れにくい丈夫な家具を作ろうと試行錯誤して生まれたのが「おやじの椅子」です。壊れたほうが商売になるという人もいますが、私はそれは違うと思っています。大切なお客様に最高の苅田ブランドをお届けする。これこそが我が社の強みだと思っています。

おやじの椅子の特徴は「①ビールと枝豆を置ける椅子」「②あぐらをかける椅子」そしてなんと言っても「③子供や孫を抱っこできる椅子」をイメージして出来上がった大きい椅子です。また、座り心地を快適にする為にお尻にフィットする形に仕上げました。この椅子は一目で「苅田ブランド」と分かる自慢の作品です。この「苅田工業らしさ」を大切に、今までにない「こだわりの製品」を作り続けていきたいです。

職人の腕の見せ所

寡黙な職人に代わって、営業畑出身、口で商売をしてきた私は、行く先々で職人を褒めて歩きました。そして本社の2階にショールーム「カーリーの倉庫」を設け、普段から作っている家具や小物を展示し、いつでも誰でも苅田工業の製品を実際に目で見て確かめられるようにしました。オーダーメイドで作っているので、完成した製品は必ず誰かの元へお嫁に行きます。一旦収めてしまうと見せる製品がなくなってしまうんですよね。その当時職人達は、ただの見せ物を作ってもお金にならないから意味がないと反対していましたが、私はショールームこそ職人の腕の見せ所だと思い「魅せる家具」を作ってもらう事にしたのです。

私は職人ではないので家具を作ることはできませんが、先日、江戸時代の小物入れをリフォームしてみました。残せる木材はそのまま使用し、張り替える木材には地元の「いちいの木」を使用し、金具は老舗から取り寄せ完成させました。ものづくりの楽しさを実感した瞬間でしたね。

一番辛かった時期を乗り越えて

2016年4月、電気系統の不具合から出火し、建物の一部と貴重な木材が焼失してしまい、仕事ができない時期がありました。家具職人を手放さなくてはいけない事が一番辛かったです。大工の現場は、かろうじて稼働することができたのですが、家を建てる=縁起物ですから、信頼を回復するまで時間もかかり大工職人にも辛い思いをさせてしまいました。仕事がないので給料を払えるかどうかも分からない中、ろうあ者の社員が自分に出きる事があるならここに残って力になりたいと言ってくれました。今ではその社員は立派な職人として活躍しています。

前職の繋がりもあり随分と助けられながら、何とか乗り切って今があります。何事に対しても諦めず一歩前に踏み出し歩き続ける精神は、前職での経験からきているのかもしれませんね。

見て覚える時代は終わり、丁寧に教えてくれる職人の元で若手を育てる

我が社に来て欲しい人材は?と言うと・・・どんな人でも良いです!ただ一つだけ「ものづくりが好きな人」であればその他は一切問いません。八戸のベテラン職人達は、丁寧に惜しみなく技術を伝授してくれます。
先日もドイツの楽器「タオライアー」を作りたいという若手人材が当社に来て、技術を身につけていました。ベテラン職人が元気な今のうちに、技術を受け継いでもらい、スーパー職人になってもらえたら!と思っています。

ものづくりが好きな人であれば、完成した時の喜びや達成感は大小関係なく実感できるでしょうし、自分が手掛けた作品が形として残っていく感動を味わえるのも「ものづくり」ならではですよね。
見て覚える時代は終わったので、優しく丁寧に教えてくれる師匠を紹介します(笑)。当社は横のつながりが強いので、今日はここの建具屋の師匠、明日は違う建具屋の師匠といった感じで、たくさんの師匠の元で技術を身につける事ができます。もちろん営業はやらなくていいです!そこは私の出番ですから(笑)。そして苅田工業として、ファミリーのような一枚岩でいたい。これが私の目指す姿です。

建築・土木業有限会社苅田工業

当社は昭和9年に建具店として創業しました。「木を扱う仕事はすべて施工する」を目標に掲げ、地元の木材を使用し、原木から製材、加工、仕上げまでを一手に手掛けています。また、家に人が合わせるのではなく、「人に合わせた家作り」を強みとし、家作りから家族の幸せを作る事を目指して日々業務を行っています。