• 対談形式インタビュー

あの時があるから今がある~創設メンバーが語る想い~

あの時があるから今がある~創設メンバーが語る想い~

日本サーモンファーム株式会社

田中 顕三郎(Kenzaburo Tanaka)

日本サーモンファーム株式会社

秋田 敬太(Keita Akita)

創設メンバーによるリアルボイス!

日本サーモンファーム創業とともに今別町の海でスタートした「サーモン養殖プロジェクト」。同時期、事業の立ち上げに携わることになった海水部田中部長と秋田さん。 日本海の美しい海を背に、海水部を一から創り上げたその裏にあった想いとは!?
淡水部の熱い対談に次ぐ、海水部創設時の知られざるお話を伺いました。

今別町との出会い、希望から確信へ

秋田:そういえば、田中部長は、事業立ち上げにあたり、創業前から代表(鈴木)と色々な海で試行錯誤を重ねていたのですよね?そのあたりのお話、実は聞いたことないので聞いてみたいです。

田中:よし、記憶を呼び起こしながら話してみようかな(笑)。実は、私と代表は長い付き合いで、20年ほど前、私が前職の漁網会社に勤務していたときからです。当時、海外で養殖技術を学んできた代表が、福井県のとある海でサーモン養殖ができないか?と相談してきたんですよ。結局、波も高く荒い海だったので実現はしなかったのですが…。そのとき代表から「絶対にあきらめないから!」と言われて3年後。「田中さん!今度こそいい場所見つけたよ!」と紹介されたのがここ今別町の海、そして日本サーモンファームの事業の始まりでした。

秋田:たしかに自分が入社したとき、田中部長はまだ漁網会社に勤められていましたよね。この海で大規模養殖が本当にできるのか、地域・漁協関係者一丸となって、試行錯誤した記憶があります。そのとき、田中部長が先陣を切って声を上げ、動いている姿が印象的でした。

田中:そうそう、いけすの設置とかね。当時は少数精鋭のメンバーで、前職(漁師)の経験で海慣れをしていた秋田君の積極的な姿勢はすごく助かりました。養殖に関しては、理論上や技術的には可能でも、相手は海。やってみないと分からないことも多く、当時はトライ&エラーの連続でした。試験を重ねるごとに、希望が確信に変わっていき、プロジェクトが進むにつれて「これはいけるかも」って思いましたね。その過程でチームとしても一体感みたいなものも出来上がってきて…。私自身、気づいたときは日本サーモンファームの一員になっていました(笑)。

正解を模索する楽しさがある

田中:当時は作業一つにしても、正解を探しながらだったので「こうした方がいい」ということがあればすぐに取り入れていたよね。今思えば秋田君を含めた創設時のメンバーには、苦労をかけてしまったなあと感じています。

秋田:そんなことはないですよ!自分自身、日本サーモンファームの楽しさは「試行錯誤」にあると感じていました。例えば、工場の機械などを動かす仕事であれば、まずはマニュアル通り行うのが基本だと思うのですが、海に対してはその考えが通用しないこともあります。その際に、思考を停止するのではなく「考える」という行為がとても重要で、そのような訓練を当時から経験できたことは、今にも活きていると思います。

田中:そう言ってもらえると、すごく嬉しいね。

田中:当時は、業務に必要な道具なども、業者に依頼するというよりは可能な限り自分たちで作っていました。なぜなら、今別町の海のことやサーモン養殖のことを一番よく知っているのは他の誰でもなく、自分たちだと強く思っていたからです。考え無しにただ「頼る」のではなく、自分たちが積み重ねてきた実体験と、チーム内から自然と飛び交う「こうしてみたら?」というアイディアを大事にしたかったのですよ。その文化は今も変わらず、網やロープの修理やいけす作りなど、ある程度自分たちで出来ることは自分たちで行います。

秋田:一方、餌やり作業においては、バージ船を用いた遠隔管理システムの導入によって大きな技術革新を遂げています。例えば、海が荒れて近づけないような日も、遠隔操作で給餌が可能なので、これまで以上に安定的・効率的にサーモン養殖を行うことができるようになりました。遠隔管理システムの操作は事務所内で行っていて、水中カメラで魚の動きをリアルタイムで見ることもできます。パソコンがあまり得意でない自分でも操作できているので、一度覚えてしまえば難しいことはありませんが、あくまでも操作するのは「人」なので、自分が得た情報の中で、次のアクションとして何をすべきかといった判断力はとても大事になりますね。

養殖はサッカーのようなチームスポーツ

田中:秋田君はここ、日本サーモンファームでの働き方をどう感じている?

秋田:そうですね、すごく楽しめています。シーズン中、海水部の大きなヤマは2つあり、海面養殖場に魚が入る11月~12月と、成長した魚を水揚げ出荷する4月~6月です。毎年、海水部がやることはシンプルで魚を大きくすることなのですが、その年ごとに海の状況は変わるため、対応していかなければならないところが難しさでもあり、面白さと言えます。

田中:たしかに、去年のデータはあくまで目安で全く当てにならないよね。特に海は毎日機嫌が変わるので、働き方としては「動きながら考える」チームスポーツの感覚に近いような気がしますね。例えばサッカーのように、監督からの指示待ちではなくプレイヤーがその場その場で瞬時にシュートかパスか、選択しなくてはいけないですから。海が荒れていて近づけなくても、今やれる準備は何か?常にそういうことを考えていますね。

秋田:そうですね。思ったことをちゃんと言い合える風土もチームスポーツに近いかもしれませんね。もちろん、相手への敬意があっての前提ですね。

途中で出会った仲間たちとの大きなバトン

秋田:日本サーモンファーム全体としては、自分たち海水部にとって、淡水部の存在もすごく大きいですね。淡水部では卵からの中間育成と同時に、毎年成長に関する分析や研究を行ってくれていて、特に海水部のもとに魚が移動してくるとき、淡水部皆さんの努力を感じます。

田中:たしかにそうだね。同時にプレッシャーもね(笑)。たしかに、淡水部があってこその養殖事業なので、忙しい時期には、お互いの部署が助け合うこともありますね。そのあたりは部の垣根を超えたりもします。

秋田:淡水部からは毎年大きなバトンを受けとっています。だからこそ、海水部でも負けないぐらいの熱い気持ちが入ります。今後も一つの目標に向かってお互いを称え合えるような関係でありたいですね。

田中:淡水部も海水部も全員、「途中で出会った仲間たち」だからね。みんなそれぞれの知恵を出し合って、会社全体を良くしていこうという気持ちで働いていきたいね。

過去を知り、未来へ挑む

田中:思い返せばわたしはここ20年間、海とサーモン養殖に身を捧げてきました。その過程で、遠回りしたことも多かったと感じているのですが、これから秋田君たちが歩む20年間は日本サーモンファームとしてもっともっと飛躍するための20年になると思っています。

秋田:そう言っていただけるのは嬉しいです。今後、自分たちの世代がリーダー層を目指す上で、創業当時の田中部長がどんな想いで仕事に向き合っていたのかを知れたことはすごく貴重な機会でした。

田中:最後に少し未来のことを話すと、現在我々の拠点は青森県内以外にも、秋田県や北海道など、日本各地へと広がっています。事業拡大を見据え、まさに日本サーモンファームの第二章として新たな歴史を一緒に作っていく心強い仲間を募集しています。ご興味がある方、まずは一度今別町の海を見に来てほしいですね。

秋田:そうですね。ぜひお待ちしています!

 

今回は日本サーモンファーム株式会社の海水部の方々に今だからこそ話せる「創設当時のお話」や「今後の展望」についてインタビューしてきました。
この会社が気になった方は、下記 会社情報ページをご覧ください。