• 経営層・管理者インタビュー

「オペレーションの先にある、プロフェッショナルをここ八戸で育てていきたい」

「オペレーションの先にある、プロフェッショナルをここ八戸で育てていきたい」

建設業界からキャリアをスタートし、現在はIT・データ分析の世界へ。インターネット初期の頃からキャリアを歩み始め、ネット・IT業界の成長と共にキャリアを広げてきた眞井氏。お手本もない、教科書もない道を、自ら切り開くことの楽しみを知った「東京での社会人生活全編」と、転機となった35歳の「空白期間」そして、その後につながる「八戸での活躍編」から続く今。眞井さんの人生を振り返りながら、今、そしてこれからについてお聞きしました。

「キャリアのスタートは、実はIT関連ではなく建設会社でした。」

地元の大学を卒業後、新卒で東京の建設会社へ就職しました。入社当時はちょうどwindowsが出始めた頃。それまでITとは縁遠かった建設会社においても、業務効率化のために社内システムを整え、ネットワーク環境を構築することが求められました。大学時代に特にシステムやネットワークについて勉強したこともなかったのですが、「若いから勉強すればできるだろう」と任されました。
当時は全てが手探り。本を買って、仲間内で勉強し、試行錯誤を繰り返して社内システムの開発やプログラミングを行いました。
振り返れば、このキャリアのスタートにより、「誰かに指示をされたことを遂行する」ということよりも「自ら学び、自ら情報を集め、形作って行く」ということの面白さを知ったのだと思います。大変でしたが自分の仕事観の土壌となる良い経験でした。

0から1を作り、1から3、10へ拡大と転換。そして10から0へ。

その後は経理部へと異動しました。もともと、売上や在庫管理を行う上で必要な情報管理を、紙ベースからデータベースへと移行するために一部業務で関わりを持っていたのですが、経理の知識はゼロ。今度はまた「経理」という未経験の分野と向き合うことになります。
経理を3~4年担当し、一通りのことは理解した頃にバブル崩壊後の影響から会社が民事再生法を適用することに。そのまま経理担当として、会社を清算するための準備、会社の整理までをやり切り、退職しました。今振り返れば、この社会人として一番最初に選んだこの会社での経験は、新たにネットワークシステムを導入すること、そして経理にもそれを導入すること、経理を学ぶこと、そして会社を清算するためのプロセスに立ち会うこと。0から1を作り、1から3へと応用させたり、逆に10を0へ戻すことであったり。教科書もマニュアルもない中で、それ自体を自ら作ることを求められることも多い稀有な経験だったと思います。

また、走り出す為に一度立ち止まった35歳

1社目の会社を退職した後、経理の仕事を探し転職したのですが、新しいことに挑戦し続けてきた自分にとって経理というポジションだけを全うする仕事に以前のようにはのめり込むことができず、間もなく退社。振り返ると経理というのはものごとの“結果”である数字を扱う仕事。自分はどちらかというとその“結果”を生み出す“要因”作りの方に面白み・意味を見出すタイプなのだと思います。退社から約1年、仕事もせず、何もしない、まさにプー太郎のように過ごしました(笑)。35歳でプー太郎ですから、見兼ねた友人たちが色んな仕事をくれたり、アドバイスをくれたりしたのですが、その中で当時キャリアコンサルタントを学んでいた友人から、“自分の人生の棚卸をしたようがいい”とアドバイスをもらいました。
生まれたとき・幼少期からの自分自身の人生を徹底的に振り返り、感情の上がり下がり・その時の出来事・その感情を生み出した要因は何かということを書き出しました。苦しい作業ではありましたが、これによって自分の価値観を客観的に捉えることができました。振り返った後は、自分にとって楽しく、また幸せと感じられることから、「自分の人生において成し遂げたい10の目標」を定めました。

10の目標のうちの1つ、「地元に貢献したい」を叶えるべく、次のステージを八戸に。

人生の棚卸をする中で、ありきたりではありますが、生まれ育った場所のために何か出来ることをしたいということに意識が向くようになりました。次の仕事選びはその軸をもち、当時まだ東京にいましたが、八戸に戻り出来る仕事がないかを探しました。
その中で出会ったのが、今現在の道に繋がるある方との出会いでした。その方は八戸出身でインターネット・リサーチ事業を行う会社を経営されている方でした。当時ちょうど世の中は不況で、八戸の有効求人倍率も0.5程度。優秀な人材が市場に眠っていることに目を付け八戸にバックオフィスを作ることを決め、八戸事業所立ち上げのメンバーを募集していました。その求人を目にし、応募。10人ほどの立ち上げメンバーのうちの1人として採用されました。

地元八戸に、働ける場所・雇用を増やす。地元八戸に戻り、インターネット業界でのキャリアをスタート。

2007年の年初、八戸事業所が開所。その年の7月には同社が大手IT企業の子会社となり、9月には親会社の提供するサービスを支えるバックオフィスの事業所として機能させるため短期間に大量の採用を行い、業務フローの整備や業務を担うスタッフの教育に向き合いました。そして新たにカスタマーサポート業務も加わって、さらに大所帯となり八戸オフィスだけで300人弱の規模へと成長しました。その中で100人程度の部門のマネジメントを担いながら、最終的にはセンター長として人事・労務・総務全般を管轄する責任者として仕事をしていました。
35歳の1年間を過ごし「八戸に雇用を作りたい」と抱いた1つの目標はがむしゃらに走る中で気づくと叶えられ、「雇用する場を作る」ことから「八戸のスタッフ達がプロフェッショナルとなり技術を身につけ、稼げるようになる」というフェーズへと至りました。ここまで出来て、ふと立ち止まった時に当時叶えたいと立てた10の目標のうち9つが叶えられていました。しかし最後1つの目標は、当時のポジションで頑張り続けた先にはないのだ、ということに気づいてしまいました。

大手IT企業のマネジメントから離れ、また1から作っている、ADKデジタルオペレーションズという場所。

「このまま前職の立場で責任者をしていても、残り1つの目標は達成できないだろう」と考えていた昨年、新規設立するADKデジタルオペレーションズでセンター長をしないかという打診を頂きました。そして2019年7月からセンター長を務めています。
300人規模を見ていた前職のポジションからすると、今は小さな所帯。予算や人材も豊富でオペレーションが回る体制を作りやすかった前職と比較すると、限られた条件の中での体制作りは、自分でやることも多岐にわたるため採用も、育成も、まだまだこれからというのが今の組織です。
しかし部門長として100人をマネジメントしていたころには、やりたくてもできなかった「一人ひとりの成長を支援する」という細やかなマネジメントが出来る状態になりました。各メンバーとは2週に1回1on1の時間を設け、仕事のことはもちろん、プライベートのことや今後のこと、家庭のこと、趣味のこと等、ざっくばらんに話を聞かせてもらい、メンバー一人ひとりが今どの様な心のコンディションでいるのか、を知る機会を作っています。

一人ひとり異なる価値観があり、なるべく私たちが目指すこと・大切にすることに共感してもらえる人に入社してもらう方が、成長の伸びしろがあると思っています。だからこそ、面接のときにも必ず、その人の価値観がどのようなことにあるのか?を聞き、理解したいと考えています。
メンバー一人ひとりが、自分自身の価値観を大事にし、自分らしさを発揮して安心して働ける場所を作りたい。そして、その上で仕事に集中してもらい、「業務をさばくオペレーター」ではなく、「創意工夫をし、能動的に技術・スキル・知見を広げていけるプロフェッショナル」を目指してほしい。オペレーターとして基礎を固め、その先でデータ領域のプロフェッショナルを目指してほしいと願っています。スタッフ達が世の中に必要とされるスキルを身につけ、自らの市場価値を高め続けられるような支援をしていくことを私自身のミッションとしています。

ADKデジタルオペレーションズの介在価値

私たち株式会社ADKデジタルオペレーションズは広告代理店である株式会社ADKマーケティングソリューションズの子会社として誕生し、現在は100%の業務がADKより委託されています。ADKのマーケッターがクライアントと共に商品やサービスの販売促進・認知度向上にむけたプロモーション戦略を立案、推進していくための支援を担うのが当社の役割です。
我々は、マーケッターがよりクライアントへ伴走していくための、発注や請求に関わる業務やレポート作成、広告の入稿・運用等を専門で担っています。マーケッターの代わりに一連のオペレーション業務の専門部隊として機能することで、マーケッターは限られた時間をクライアントへの提案・伴走に集中し、時間を割くことができます。私たちがマーケッターをサポートすることが、ひいてはクライアントの事業戦略の推進へとつながり、その先にある消費者の暮らしへとつながっていくのです。私たちが私たち自身に求められる業務を効率よく、質の高いものにしていくことが、新たな商品やサービスを利用するカスタマーへとつながっていき、より良い暮らし・世の中へとつながっていくのだということを、全員が意識して仕事が出来る組織にしていきたいと考えています。

社員一人ひとりの成長と共に、さらに進化する会社へ。

1つの作業でも、単なるデータ入力・単なるデータ処理と捉えるのか、マーケッターの立場に立ち有益なものとなるよう工夫するかで、アウトプットは大きく変わると思います。言われたことをやる、に留まらず、受け手側の気持ちに立ち、価値のある・意味のある仕事を全員がしようと努める組織。それが私の思う本当に強い組織です。今はまだ走り出しですが、近い将来そのような組織となれるよう、スタッフとの目線合わせをし、より高いビジョンを持ち働けるよう支援していきたいと考えています。
そのような自らの仕事の先にあるクライアントの状況、またその先にいるカスタマーの姿までを頭に置き、一人ひとりが向上心をもちながら仕事ができる組織作りを目指しています。
そのような組織となれた暁には、私たちADKデジタルオペレーションズ自体の業務領域やアウトプットの質も大きく変化するはずです。現在はADK本体の業務をアウトソースしている状態ですが、ADK本体へ提案ができたり、ADK以外の広告代理店からの業務を請け負うといった未来も描けると考えています。そのためにも、社員一人ひとりの成長が必須。このメンバーと共に、新たな未来を描いていきたですね。

ここ八戸に拠点を構える私たちだからこそできる仕事、そして暮らし。

ITツールの進化と、コロナ禍における人々のマインドの変化によって、一気にオンライン化が進みました。以前は弊社のようなIT関連の企業で働くため、またこの業界でのキャリアアップのためには、首都圏へ出ることが当然のこととされてきました。しかし、今は違います。ここ八戸のような地方都市であっても十分、スキルを磨き、キャリアアップをしていくことが出来ます。
「仕事がないから八戸に(戻りたいけれど)戻れない」そんな風に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。
もはや仕事において首都圏と地方はより境界線が曖昧になり、変化の激しいIT業界においては特に、首都圏・地方の差がよりフラットに近づいてきました。首都圏に出たい人は出て、地方に暮らしたい人は暮らす。生きたい場所で生き、働ける環境が整ってきました。首都圏に比べ職住接近の地方の方が、より心の余裕をもって働くことができ、よりよい仕事ができるはずです。地方だから出来ない、ではなく、地方だからこそできる仕事と暮らしを私たちと共に実現していきましょう。

IT・通信・インターネット業, マスコミ・広告・デザイン業株式会社ADKデジタルオペレーションズ

ADKDOのクライアントであるADKのマーケターは専門家人材の需要増により多忙になる事が予測されています。私たちがマーケターへのサポート力を高めていき、相手の立場に立った姿勢で関わる事で時間的、心理的負担が軽減されるはずです。 その結果として、最前線で仕事をするマーケターが活躍し、日本の企業の競争力や収益性強化を実現する事を目指します。